2輪と4輪の自動車
日本に初めてやって来た二輪自動車は、明治29年(1896年)1月19日のことでした。
当時は、この自動車が日本の地を走った時のことを、「石油発動自転車試運転」と呼びました。
実は四輪の自動車の完成にはまだまだ先のおはなしで、その手前に二輪車が初めて日本にやってきたのです。
この二輪車はドイツで発明されたもので、世界的にみても、初めて量的にたくさん生産され、その姿を世界各地に登場させたのがモーターサイクルだったのです。
そして、日本にやってきた二輪自動車は、どこでその試運転を試みたのかというと、天皇陛下がお住まいになっている皇居前の広場であったそうです。
日本初ですから、皇居で行われたという理由は、当時の世相を考えたら分かるような気がしますね。
その後に二輪自動車の試運転が一般に公開されたのです。
まだ、馬車が主流で、自動車というものの概念すら知る事のない日本の人々にとっては、この二輪自動車の登場は、腰を抜かしたことでしょう。
二輪自動車の快適な走りと、独り乗りのスリムさに人々は愕然とし、「独り乗りの汽車」と当時の人々は呼んだそうです。
確かに汽車しか、自動で走行する乗り物を知らない日本の人々にとっては、そういった発想になるのは分からないでもありませんが、汽車と自動車はその原動力がまったく違います。
当時の汽車は蒸気で動いていましたが、この二輪自動車はモーターが取り付けられ、エンジンとして自動走行していたのです。
2011年10月23日 |
カテゴリ: 自動車
戦後の自動車
時代が戦後の復興期に入った頃、日本には様々な規制が緩和され、世界各国からの物や技術、生活習慣などがどんどん入って来て、人々の暮らしはどんどん豊かになってきました。
激しく変化する社会経済にともなって、自動車や人のための道路交通規則もさらに改良されてゆきます。
先ほどもでてきましたが、昭和24年の「道路交通取締令」ですが、これによって、自動車の運転免許の有効期限が5年であったものが2年となり、また、自動車の種類によって運転免許の名称も様々に増える事となりました。
そのため、一人で、多数の自動車運転免許を所有する事となったのです。
またこの時代の特徴として、小さな荷物などを運搬するサイドカーという自動車が流行し、それに伴って、サイドカー付きの自動二輪車という自動車の免許も、新たに付け加えられました。
また昭和27年になると、補助的なエンジンがついた自転車が日本全国で流行しました。
いまでいう原付バイクでしょうか。
これに伴い、審査するだけで、試験などの必要のない「運転許可」という制度があらたに自動車の法則として付け加えられました。
また自動車の「道路運送車両法」の改訂によって、このとき初めて軽自動車という区分が登場し、もともとあった軽自動二輪という内容は廃止されました。
2011年10月22日 |
カテゴリ: 自動車
自動車を日本に運んできた十文字信介さん
自動車の存在すら知られていなかった時代に、いったい誰が日本へ車を持って来たのでしょうか。
きっと世界情勢に通じた千件の目がある人物ですよね。
そう言いつつ、意外に知られていないのですが、その人の名前は、明治の農業思想家である十文字信介さんです。
農業思想家というと今一どんな方なのか想像出来ないかと思いますが、十文字信介さんは実は明治中期ではとても有名な方です。
自ら進んでいろんな事に取り組み、明治の様々な文明などが日本にどっと流れ込んで来た時代、その新しい物に目をむけ、日本に取り込んで行った先駆者でもあるのです。
もともとは、十文字商会と一緒に猟具館も経営する方で、海外の動向にとても敏感で、「最新の機械を日本に輸入する事に、とても熱心だった」といわれています。
そしてこの二輪自動車の輸入から販売までを請け負っていたようです。
二輪自動車を一般公開の試運転をしたころというのは、丁度、日清戦争を契機に日本の様々な産業が活性化した時期でした。
そのころにエンジンという、自動走行できるモーターを搭載した陸上用の交通機関を人々にアピールするという事は、どういうことがお分かりですか。
速さもそうですが、乗車している本人が疲れる事なく人や物を移動することができるとなれば、今後の軍事業界では喉から手が出るほど手にしたい物となることでしょう。
それを見越して、誰よりも速い輸入と販売権を手にしている十文字さんは、かなりの実業家であったといえますね。
2011年10月21日 |
カテゴリ: 自動車